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記者の目:被爆者健康手帳の交付審査=樋口岳大
毎日新聞 2013年08月09日 01時18分
http://mainichi.jp/opinion/news/20130809k0000m070137000c.html
▼全文引用
◇証言重んじる工夫を
被爆者健康手帳の取得を望みながら、「被爆者」と認められない人を昨年来、長崎で訪ね歩いた。国は申請 者が被爆者だと確認するために、「第三者2人以上の証明」などを求めているが、68年がたった今、高齢になった申請者が自ら証人を探し出すのは極めて困難 だ。手帳交付を求めた裁判中に原告が亡くなったケースにも遭遇し、「被爆者には時間がない」と痛感した。国や自治体は被爆者の証言を尊重し、手帳取得が容 易にできるよう知恵を絞るべきだ。手帳は、被爆者が援護を受けるための基本になる。都道府県や広島、長崎両市に申請し、▽直接被爆者(1 号)▽入市被爆者(2号)▽原爆放射能の影響を受ける事情の下にあった(3号)▽母親の胎内で被爆(4号)−−などと認められれば交付される。手帳があれ ば、医療費の自己負担は原則なくなり、一定の健康障害が認められれば健康管理手当(月3万3570円)などが支給される。所持者は3月末時点で20万 1779人。厚生労働省は全国の却下件数を把握していないが、長崎市では昨年度まで過去3年に申請があった302件のうち、9割以上が却下された。
◇証人見つからず 申請したが却下
長崎市の金子一枝さん(81)は2012年、証人がいないことなどを理由に申請を却下された。金子さん は原爆投下時は爆心の南西約20キロの軍艦島(端島)にいたが、数日後、本土側に船で向かう途中に、敵機が飛来し、香焼(こうやぎ)島のトンネルに避難。 中には、爆心近くで被爆し運ばれて来た負傷者が大勢収容されていた。現在、同市は「3号」での手帳の交付要件を「原爆投下から2週間以内に、1日に被爆し て負傷した5人以上と接触」などとしている。金子さんは、自分がこれに該当すると考えた。約3年半、自宅からバスで約1時間の香焼地区を数十回訪れ、証人を探したが、当時を知る人の多くが亡く なっていた。戦時中、同地区には造船所従業員の避難などのために多くのトンネルがあったが、戦後の開発で姿を消していた。申請は却下され、12年7月に長 崎地裁に提訴した。
私は証人探しに同行した。当時の看護婦ら7人と会い「多くの被爆者がトンネルに収容され、救護に走り回った」などの証言を得た。金子さんの主張と重ねて不自然・不合理な点はない。「なぜ手帳がもらえないのか」。金子さんの訴えが、胸に重く響いた。
爆心の南東約9キロの長崎市茂木町で会った川口喜孝さん(79)も「3号」で申請し、却下された。近所
の臨時救護所で死亡した被爆者十数人の遺体を火葬し、砕いた遺骨を山に埋葬した。当時11歳。戦後も遺骨のことが頭を離れなかった。17年前、遺骨を掘り
出して寺に埋葬し直し、私財を投じて建てた観音像に今も、お参りを欠かさない。
川口さんは09年に手帳を申請したが、長崎市は却下。却下通知には「遺体処理に従事した日にちや内容が確認できない」とあった。身元も分からない被爆者の慰霊を続ける川口さんへの、あまりにも非情な仕打ちではないか。
私は12年9月に勝訴した原告の張令俊(チャン・ヨンジュン)さんが忘れられない。同5月に長崎地裁で あった尋問の前に、ホテルに訪ねると日本語で「言葉をつくる必要はありません」と言い、父を捜すため爆心地近くを歩き、やけどで皮膚がむけた負傷者や熱で 曲がったレールを見たなど生々しい体験を語ってくれた。法廷での尋問でも、忘れたくても忘れられない体験を具体的に語った。張さんは手帳を事前申請した 1995年から17年間、同じ証言を続けたが認められなかった。そして勝訴判決1カ月前の12年8月、手帳を手にすることなく82歳でこの世を去った。
今年7月の原告勝訴判決後には、原告弁護団が「手帳を取るべき人が取れるよう、行政は判断基準を変える べきだ」と指摘した。一方、田上富久・長崎市長は、判決は「個別事例」だと繰り返し、「手続きを基本的に変えることはない」と語った。高齢になった被爆者 に証拠探しを課し、申請が却下されれば、費用や時間がかかる訴訟で争え、というのは過酷に過ぎる。
原爆と同じ「核」の被害である原発事故に日本が直面している今、被爆証言から学ぶことは多い。行政に必要なのは、被爆者切り捨てではなく、個々の証言を丁寧に聞き、学ぼうという姿勢だ。(長崎支局)
川口さんは09年に手帳を申請したが、長崎市は却下。却下通知には「遺体処理に従事した日にちや内容が確認できない」とあった。身元も分からない被爆者の慰霊を続ける川口さんへの、あまりにも非情な仕打ちではないか。
◇生々しい体験談 処分覆す判決も
こうした行政判断を覆す判決も長崎地裁で相次いでいる。韓国人被爆者が手帳交付を求めた2件の訴訟で12年9月と今年7月、長崎市の却下処分を取り消し、手帳交付を命じた。いずれも証人はいなかったが、被爆者本人の証言の信用性が高いと判断した。私は12年9月に勝訴した原告の張令俊(チャン・ヨンジュン)さんが忘れられない。同5月に長崎地裁で あった尋問の前に、ホテルに訪ねると日本語で「言葉をつくる必要はありません」と言い、父を捜すため爆心地近くを歩き、やけどで皮膚がむけた負傷者や熱で 曲がったレールを見たなど生々しい体験を語ってくれた。法廷での尋問でも、忘れたくても忘れられない体験を具体的に語った。張さんは手帳を事前申請した 1995年から17年間、同じ証言を続けたが認められなかった。そして勝訴判決1カ月前の12年8月、手帳を手にすることなく82歳でこの世を去った。
今年7月の原告勝訴判決後には、原告弁護団が「手帳を取るべき人が取れるよう、行政は判断基準を変える べきだ」と指摘した。一方、田上富久・長崎市長は、判決は「個別事例」だと繰り返し、「手続きを基本的に変えることはない」と語った。高齢になった被爆者 に証拠探しを課し、申請が却下されれば、費用や時間がかかる訴訟で争え、というのは過酷に過ぎる。
原爆と同じ「核」の被害である原発事故に日本が直面している今、被爆証言から学ぶことは多い。行政に必要なのは、被爆者切り捨てではなく、個々の証言を丁寧に聞き、学ぼうという姿勢だ。(長崎支局)
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