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被爆者健康手帳:在韓75歳が取得 広島で被爆、言葉失う 苦労重ね68年ぶり来日 /広島
毎日新聞 2013年09月25日 地方版
http://mainichi.jp/area/hiroshima/news/20130925ddlk34040607000c.html
▼全文転載
7歳の時に原爆に被爆し、言葉がしゃべれなくなった韓国慶尚南道・昌原市在住の李石任(イソンイム)さ
ん(75)が24日、68年ぶりに広島を訪れ、被爆者健康手帳を取得した。魚の行商や道端で野菜を売るなどして、苦労して4人の子どもを育てた李さん。真
新しい手帳を大事そうに見つめた。健康管理手当(月額約3万4000円)の受給申請も済ませ、付き添った次女の金容点(キムヨンジョム)さん(48)は
「手帳の取得で、苦労してきた母の生活が少しでも楽になれば、ありがたい」と語った。【加藤小夜】
支援者や親族らによると、石任さんの両親は1930年ごろに親類を頼って来日。石任さんは広島で生まれ た。1945年8月6日、広島市東蟹屋町(現東区)で被爆し、家の下敷きになって血だらけになった。一緒にいた母と弟、妹の3人は死亡した。石任さんは被 爆後に高熱が出て言葉を失ったという。文字を書くこともできず、意思疎通は身ぶり手ぶりが頼りだ。
石任さんは父や姉妹と共に同月末から9月ごろに帰国。ほどなく父が亡くなり、姉の孟姫(メンヒ)さんが布や魚の行商をして家族を養った。
孟姫さんは韓国人被爆者援護を求めて活動していたが、90年にソウルの日本大使館前で農薬を飲み自殺を 図った。一命をとりとめ、同年に来日して被爆者健康手帳を取得。04年に石任さんは妹とともに、県庁に被爆者健康手帳交付を事前申請し、翌年1月の交付が 決まっていたが、体調不良で来日を断念、そのままになっていた。
石任さんは現在、4畳ほどの家で1人暮らし。毎日朝早くから市場で野菜を仕入れて路上で売り、子どもた ちの援助を受けながら暮らす。今年6月、在韓原爆被害者の支援を続けている千葉県流山市の河井章子さん(56)が以前から知っていた石任さんと韓国で再 会。まだ手帳を取得していないと分かり、申請手続きを手伝った。
石任さんは24日、広島市内の病院で診察を受け、変形性腰椎(ようつい)症の診断を受け、健康管理手当 の受給も申請した。河井さんは「手帳を取らないと援護が始まらないが、手帳のない在韓被爆者は多い。認知症になったり入院するなど取得は年々困難になって おり、時間は切迫している」と話している。
支援者や親族らによると、石任さんの両親は1930年ごろに親類を頼って来日。石任さんは広島で生まれ た。1945年8月6日、広島市東蟹屋町(現東区)で被爆し、家の下敷きになって血だらけになった。一緒にいた母と弟、妹の3人は死亡した。石任さんは被 爆後に高熱が出て言葉を失ったという。文字を書くこともできず、意思疎通は身ぶり手ぶりが頼りだ。
石任さんは父や姉妹と共に同月末から9月ごろに帰国。ほどなく父が亡くなり、姉の孟姫(メンヒ)さんが布や魚の行商をして家族を養った。
孟姫さんは韓国人被爆者援護を求めて活動していたが、90年にソウルの日本大使館前で農薬を飲み自殺を 図った。一命をとりとめ、同年に来日して被爆者健康手帳を取得。04年に石任さんは妹とともに、県庁に被爆者健康手帳交付を事前申請し、翌年1月の交付が 決まっていたが、体調不良で来日を断念、そのままになっていた。
石任さんは現在、4畳ほどの家で1人暮らし。毎日朝早くから市場で野菜を仕入れて路上で売り、子どもた ちの援助を受けながら暮らす。今年6月、在韓原爆被害者の支援を続けている千葉県流山市の河井章子さん(56)が以前から知っていた石任さんと韓国で再 会。まだ手帳を取得していないと分かり、申請手続きを手伝った。
石任さんは24日、広島市内の病院で診察を受け、変形性腰椎(ようつい)症の診断を受け、健康管理手当 の受給も申請した。河井さんは「手帳を取らないと援護が始まらないが、手帳のない在韓被爆者は多い。認知症になったり入院するなど取得は年々困難になって おり、時間は切迫している」と話している。
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